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物語は大事ですね

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 共同代表理事の柳澤です。今日はブログ担当なのでちょっと長めです。

 先週末に、抗がん剤は一つではないということとヘヴィ・メタルのサブジャンルのことを書いていて思い出したことがあります。

 もう30年前以上、抗がん剤を扱う製薬企業に入社しました。ここでの仕事や、出会った医療者、先輩諸氏、環境には、今思い返してもとても感謝しています。

 当時の製薬企業のことを考えると多くは、「ザ・営業」って感じで、もうこんなことはないでしょうが、医局で碁が強いMRの製薬会社の薬が売れていたり、忘年会を仕切るMRの製薬会社の薬が売れていたり、朝晩の送り迎えをするMRの製薬会社の薬が売れていたり、そもそも入社した時は、プロパーと呼ばれていたりして。最近、時々、昔の同僚、先輩とZOOMなどで話すと、時代とはいえ、あまりにバカすぎて。

 そんな中ではありますが、入社した製薬企業は、今でも、ある種の領域(腫瘍)ではKey Drugとして使用される抗がん剤を扱っていて、当時は抗がん剤だけを専門的に担当する抗がん剤コーディネーターという職種があり、その発展形として、日本で初めて抗がん剤MR部隊を設立されました。

 ここでの仕事は本当に勉強になりました。自社が扱う製材がどのような経緯で発見され、どのように臨床導入され、そして個々の患者さんにどのように使用されるかなど、当時、まだ悪心・嘔吐、血球減少に対する支持療法もなかった頃、どうすれば良いかなど、先輩と教えを請い、勉強し、論文を探し、医師と話したことを思い出します。一つの薬剤をとっても、開発、臨床導入される物語があることがわかりました。そして、入社して、アホ程勉強させられた薬がシスプラチン(cisplatin)。シスプラチン誕生の経緯が1965年と、私の生まれた年でもあり、なんか感慨深いものがあります。

<シスプラチン wikipedia>

 2021年、抗がん剤を扱う企業は大きく成長し、がん領域を扱う医療者は社会に求められる重要な立場になりました。30年前当時、抗がん剤を扱う製薬企業は業界を牽引する企業ではなく、そして、がん治療にあたる医療者も決してマジョリティーではありませんでした。しかし、当時も今も、一つの薬剤に対しても深く研究し、小さな差でも改善を続ける姿勢(臨床試験などを進めること)が今につながったと思うのです。

 こんな世界にいたので、答え出てからのってくる的なものとか、総花的な話とかに全然興味がないのかもしれません。一つのことにこだわりを持つこと、何かが成長する過程、何かが成功する物語を一緒に見て、作るのが好きなのかもしれません。って、これは、まだ売れていないアイドルが武道館目指して!を応援するドルオタと同じです。

追伸:写真は、シスプラチンの誘導体として発売されたカルボプラチンを比較する医療者向けのマテリアル。当時は、代理店に丸投げといった文化はなかったので、福岡先生に指導を受けながら作ったもの。年末掃除してたら出てきました。デザインがシュールすぎるとの指摘を受けましたが、良い思い出です。

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