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臨床試験のお話 統計家について ~臨床と統計の架け橋に…~

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共同代表理事の山口です。
  
昨年の8月末まで1年間、ベルギーのブリュッセルにあるEuropean Organisation for Research and Treatment of Cancer (EORTC) データセンターに留学をしておりました。EORTCは、欧州でのがん研究をコーディネートし計画し実施している世界有数のがん研究機関でありまして、がん治療・ケアのスタンダードを確立することを目的に、約40年に渡り非臨床研究及び臨床研究を計画/実施してきた実績から、そのインフラストラクチャは確立され、世界のがん研究を先導しています。がんは稀な疾患であることから臨床試験は多施設で行われることが一般であり、また、長期のフォローアップが必要であることから、がん専門施設を中心とする半恒常的な組織としての多施設共同研究グループの必要度が高く、欧米では数多くのグループが確立し、臨床試験方法論全般において主導的な役割を果たしています。EORTCはそのような組織の一つと言えます。小生は特にがんの多施設臨床試験データに対する解析方法(施設間差の解析方法、中間解析の方法、予後予測モデルの開発と検証方法など)を研究しておりましたが、それ以外に、長年に渡る大規模な研究者主導型の多施設臨床試験の経験から蓄積されたノウハウを少しでも吸収し、がん臨床試験に関する実施体制・運営方針を習得し研究することも目的の一つでした。
  
さて、小生の専門である生物統計学の臨床試験における役割については、日・米・EU三極医薬品規制調和国際会議 (ICH: International Conference on Harmonization of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use) で合意された医薬品の臨床試験の実施に関する国際基準のガイドラインであるICH-GCP (GCP: Good Clinical Practice、日本ではいわゆる新GCP、97年施行03年一部改正) において、生物統計家を有効活用すべきである旨の記載があります。生物統計学とはどんな学問かを今更ここで語る気はありませんが、小生の恩師であり現在の上司でもある大橋靖雄先生の本学科のパンフレットでのお言葉をお借りすれば「基礎・臨床・疫学といった医学研究において、どうデータをとるか(調査計画・実験計画)、どう解析するか(統計解析)の方法論を提供する応用統計学」です。前述したように、臨床試験においては生物統計家(試験統計家)の参加は必須でありますし、世界の一流医学雑誌に論文を投稿する際の生物統計家の寄与は大きいものがあります。まだまだ形式的な場合もあるのでしょうが、これらが日本の医学界において徐々に認識されるようになり、薬剤開発における治験や医師が行う臨床研究などに限っては生物統計家が加わるようになってきました。一方、ここに書くまでもなく欧米の医学界では生物統計学は当然のように認知されております。
  
日本では統計家と聞くと難しい統計解析のみ頭に浮かんでくる方がまだ多数いらっしゃいますが、統計家の寄与は(もちろん解析に関してもそうですが)むしろ試験の計画段階にあります。今でも、データを持ってきて、どのような解析手法を使えばわからない、とか、解析だけやってくれ、とかありますが(自分が学生時代の時と比べたら、そのような依頼はだいぶ減ったと思います)、解析の目的(検証したい仮説)がはっきりしない、そもそもなぜこのようなデータの取り方をしたのかがよくわからないなど、患者さんからの貴重なデータを有効に利用していないケースが多々あると思っています。臨床研究を行う際には、様々なステップを経なければならず、その際には、仮説の設定、デザインの選択、評価項目の設定(妥当性・信頼性の評価)、サンプルサイズの設計など、統計家が貢献できることはたくさんあります。一方、その際に統計家にとって必要となるのが、主として臨床家、あるいは他の専門性を有する研究者と話ができる(コミュニケーションがとれる)ことだと思います。生物統計の専門家として臨床研究に参加する際には、背景となる疾患に関してある程度の知識を有することが必要だと思っています。例えば、非小細胞肺がんの臨床試験に共同研究者として参加するのに、当該疾患の知識(病態、標準治療、先行する臨床試験に関する情報などなど)がなければ臨床家と議論もできませんし、適切な試験計画を立てることは不可能です。もちろん、臨床家との議論を通じて知識が高まることもあるでしょう。自分もまだまだ半人前ですが、生物統計の意義を臨床家に認識させるという意味も含めて、研究を円滑かつ効率的に進めるためにも、臨床に対する周辺知識の習得は必須だと思います。
  
EORTCデータセンターでは、臨床試験の事務局をたばねる臨床家 (Coordinating Physician)、生物統計家、CRF (Case Report Form) の作成やデータの入力・チェックなどを行うデータマネージャーなど、様々な専門性を有する研究者がおり、がん種ごとにチームを組んで臨床試験の計画/実施のサポートをしています。統計家は10人ほどおりますが、やはり各自が専門のがん種を有しており、臨床家とともに各チーム内である意味主導的な役割を果たしていました。専門はもちろん生物統計ですが、がちがちの数理統計の理論を研究するのではなく、実践に生かせられるような方法論の研究を行っています。また、臨床の一流雑誌への投稿も非常に多いです。小生のアドバイザーをしていただいたRichard Sylvester先生は、特に膀胱がんの臨床試験の専門家で、20年以上にわたって臨床試験の計画に関わっており、国際学会(臨床)で座長をつとめたり特別講演を行ったりするくらい膀胱がんの臨床に詳しく、もちろん、統計に関してもプロフェッショナルであり、小生が尊敬する統計家の一人です。彼の肩書きは、EORTCの副データセンター長であり生物統計部門のヘッドですが、名刺を見ると、その下に、Coordinating Scientist と書かれています。彼が単なる統計解析などの実施にとどまらず、臨床研究全体あるいはある側面をコーディネイトする役割を持っていることがわかるかと思います。統計家とは、究極的にはそのような役割を担うものかもしれない、と思ったりします。そのためには、背景の臨床などに関する知識と、臨床家や他の専門性を有する共同研究者と対話をし全体をまとめていきながら研究を進めていくというコミュニケーション能力が大事になってくる、ということです。
(中略)
  
小生の大先輩である京都大学医療統計学の佐藤俊哉先生がある論文で、「理論的な研究成果が応用に、しかも健康という我々に最も重要な問題の解決に直接結びつくところが、疫学-生物統計学のすばらしさと筆者は信じている。」と書かれています。小生も同感です。生物統計家と名乗る以上、統計はできてあたりまえ(自分はまだまだですが)、それ以上に、臨床のことを知らなければなりません。医学や健康科学の発展に少しでも寄与ができると思いまた意義があると感じてこれまで研究や仕事をしてきましたし、これからも、単なる統計家ではなく、臨床と統計の架け橋になれるような生物統計家をめざし、日々努力していきたいと思っております。
  
  
以上は、約16年前、留学先のEORTCから帰ってきて、小生の出身である東京大学医学部健康総合科学科(当時は健康科学・看護学科)の同窓会ニューズレターへ寄稿した記事です。
先日とある議論から、この記事のことを思い出し、今月のブログにも再掲させていただきました。
統計的な考え方は大事なのですが、別に統計家だけで臨床試験が計画・実施・公表できるわけではありません。統計家はちっとも偉くありません。臨床試験には様々な専門家が関わって、チームとして協働で試験の質を担保する必要があります。小生がお世話になったSlvester先生がおっしゃる、そして、恩師である大橋靖雄先生も同じことをおっしゃっておりました、コーディネーションこそが統計家の重要な役割だと思っています。

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